06台湾のオートキャンプ

台湾のオートキャンプ

台湾のキャンプは、1949年に国民党政府が中華人民共和国から逃れて建国したという特殊な歴史的事情が背景にあります。この時期は当然のことながらキャンプを含めたレクリエーション活動は低迷せざるを得ませんでした。国民党政府は50年に近い期間にわたって戒厳令を敷き、国民の言論、結社の自由を禁じました。
中学校では週1時間、授業で野営活動について教えるほか、年1回のキャンプ実習が行われていました。
というのも国民党の支配下でキャンプ活動は、ボーイスカウトと中国青年反共救国団の二大組織によって「童軍教育」の一環として行われていたからです。
  1971年、台湾は国連から撤退することにより、台湾の建設に専念することに方針を転換し、経済全体の発展に取り組みました。その結果、産業社会の形成と所得の向上、労働時間の短縮などが達成されるとともに、一般市民の野外レジャーが可能となりました。
このような流れを受けて、1975年10月、青少年を中心とする健全な野外活動の育成を目的として「中華民国露営協会」(CAROC)が社団法人として設立・認可されました。翌1976年にはFICC(国際キャンピング・キャラバニング連盟)に加盟しました。
  1987年、戒厳令が廃止されると、国民所得が6000ドルを上回り、年総労働時間は2300時間以下に短縮、自動車の保有台数も急増して、レジャーキャンプが発展しました。
  1991年、中華民国露営協会はアジアでは日本に次いで2度目のFICC世界大会を開催しました。会場は、台北の南東に位置する福隆の龍門リゾート。世界中から約2000人のキャンパーが集まりました。
この年、台湾で2つ目のキャンプ団体、中華民国キャンピング・キャラバニング連盟(FCCC)が設立されました。中華民国露営協会が青少年活動に重点を置いているのに対し、FCCCはファミリーおよびRVやキャンピングカーを活動の中心としたオートキャンプ組織で、その後急速にメンバーを増やし、1998年にはFICC加盟が認められました。
  1996年、第2回アジア・パシフィック大会が10月9日から13日まで、中華民国露営協会の主催により宜蘭県(ウーラウケン)で開催されました。大会期間を通して断続的に雨が降りましたが、世界中から集まった約1000人のキャンパーは豊富なプログラムと、台湾人の心暖まるホスピタリティーを堪能しました。
  1999年9月21日、大地震が台湾を襲い、2685名の死者と無数の負傷者を出しました。そのため10月8日から12日まで台湾で予定されていた第5回アジア・パシフィック大会は急遽中止されました。40万人以上が住宅を失いましたが、1週間以内に約10万セット以上のテントが被災者に提供され、仮設住宅が立てられるまでの宿泊施設となりました。これは過去50年間学校で実施されてきた「童軍教育」の成果でした。一般国民が学校で習得した野外生活の技能と、普段から学校に備えてあるキャンプ器材が役に立ったのです。
  2001年中華民国建国90周年を記念して、中華民国露営協会は9月21日から30日まで「FICC国際大会・第7回アジア・パシフィック大会」を福隆の龍門リゾートで開催し、7カ国から930人が参加しました。
  中華民国キャンピング・キャラバニング連盟は、その後「フォルモーサ(台湾)・キャンピング・キャラバニング・クラブ」と名称を変更し、2005年10月7日から16日まで、台湾東部の景勝地、花蓮(ファーレン)県にある鯉魚潭(リウタン)で第70回FICC世界大会を開催しました。海外キャンパー150人を含む約1200人が参加しました。